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2020.10.27
豆知識

ニコラ・テスラ

電気というとみなさんがまず頭に浮かべる人物はトーマス・エジソンだと思いますが、今回は交流電気を我々の生活にもたらした、ニコラ・テスラについて触れてみたいと思います。
ニコラ・テスラは、1856年に現在のクロアチアで生まれたセルビア人の発明家です。幼少時代から数学で優れた才能を発揮し、グラーツ工科大学時代にグラム発電機(発電機とモーターの機能を持つ直流の発電装置)のモーターから、回転時に火花が散るのを見て、そこにエネルギーの損失が起こっていることを見抜き、それをヒントに世界で初めての交流発電装置を開発しました。
以前のコラムで直流と交流については触れましたが、交流は変圧が容易であり、高圧にすることで、少ないロスで遠くまで電気を送れます。しかし当時の主流は第一人者エジソンがすすめていた直流でした。
テスラは単身アメリカに渡り、エジソンの会社に入社し仕事に没頭していました。
そんなある日、蒸気船の故障をヒントにし、直流発電機の交流発電機への改良をエジソンに提案しました。それに対し、エジソンは改良に成功すれば5万ドルのボーナスをテスラに与えること約束しましたが、テスラはこの改良を見事にやってのけましたが、エジソンはその約束がジョークだったとはねつけました。その後も様々な場面でテスラとエジソンは意見が対立し、テスラはエジソンのもとを離れることになります。

その後、テスラの研究に感銘を受けた実業家のジョージ・ウエスティングハウスが交流システムの特許を買取り、テスラの研究を支援しました。ジョージ・ウエスティングハウスから支援を受けたテスラは、エジソンの直流送電システムに、自らすすめている交流送電システムで真っ向から対立する形となりました。これが電流戦争です。

大規模なものでは、テスラの交流発電システムはナイヤガラの滝のエドワード・ディーン・アダムズ発電所に採用され、最終的に1893年のシカゴ万博の電気を全てテスラの交流システムが採用されたことにより、この電力戦争の決着がついた形となりました。

ちなみに、この電力戦争の最中、エジソンが交流電源を使って動物の処刑をするなど、ネガティブキャンペーンを行ったことや、それに対しテスラが自らの体に100万ボルトの交流を流して安全性をアピールしたこともエピソードとして語られています。

テスラに関しては、交流以外にも興味多くの発明をしているので、このあたりのエピソードはまた後日書かせていただきます。